1991年(平成3年)
8月3日・父鈴木文雄死亡後8日目・初七日の翌日
葬儀社の祭壇片付けの日(まだ葬儀祭壇があった)
7時頃・春子が犬飼弁護士に電話「拉致されています。保護してください」
8時頃・犬飼健郎弁護士が「保護しに参りました」私達を恐ろしい形相で睨みつけ名刺を差し出した。父鈴木文雄と(有)マルゼン商事役員の長男鈴木文典は犬飼健郎弁護士の依頼人である。運転をしない犬飼氏を玉川の自宅に何度送迎した。
犬飼健郎弁護士が差し出した名刺
まさか犬飼氏の名刺をこのような形で使うとは思わず、メモを書いたのでその部分を削除した。 裏面の11:30は犬飼健郎弁護士が書いた。
犬飼健郎弁護士が春子に同行して遠藤忠運転の乗用車で家を出る。
10時頃・犬飼健郎弁護士から「事務所に来てください。今日中に決着しましょう」・断る
葬儀祭壇の片付けで葬儀社が到着
葬儀社の方々は驚き「ヒドイ事をするもんですね」
12時頃・門を閉めていたら、「門を開けろ。開けないとぶっ壊すぞ」と藤田寅吉大声で恫喝。そばの男が睨みつける。車の中で犬飼健郎弁護士と遠藤忠は静観していた。
犬飼健郎弁護士と春子は遠藤忠運転の車に同乗していた春子が、車から猛然と
降りて「私が口を開いたらアンタたち兄弟は血みどろの戦いになるからね。開けろ」大声で恫喝。近所の人々は騒ぎ立ての様子を見て唖然とする。
↓知らない男 ↓サングラスは藤田寅吉
↓後ろの建物は骨董部屋
遠藤忠が指示・2台のトラックで骨董品を運んでいた
運転手は佐藤賢と近藤憲二 ↓ ワゴン車も
↑黒い車に犬飼健郎弁護士と春子が同乗・遠藤忠運転
犬飼健郎弁護士が「強制執行します」
全員が土足で家に上がり込んだ。玄関にはヤクザな男が仁王立ちで睨みつけていた。春子、春子のボディーガードの男、遠藤忠、都築三雄、八重子夫婦、藤田寅吉、春子の弟佐藤賢・まき子夫妻、近藤博則・悦子夫妻、山田幸子、近藤憲二、高橋レイ子、阿部寛、平塚義弘、泉ヶ岳ロッジの男が3人、総勢19名
何のことだか訳が分からず、略奪者の映画のようで、本当に恐ろしかった!
これらの写真は孝子が撮った。外の様子も撮りたがったが、やくざ風の男に睨みつけられ恐怖で撮ることが出来なかった。
春子の後ろ姿・首にタオル巻き、右の男がピッタリ春子に寄り添っていた
春子は「この家の物はすべて私の物だ!全部私が買った」叫んび、泉ヶ岳観光(株)の連中は春子の事を「先生」と呼んでいた
春子の長年の愛人だった近藤博則は皆に指示して、父の箪笥から衣類を放り投げ骨董品・仙台箪笥など家中にあった金目の物を盗んだ。
応接間では春子が近藤博則の兄から買った骨董品全集など(120万円)を荷造り
左から山田幸子・都築八重子・高橋レイ子・佐藤まき子
タンスを運んでいるのは藤田寅吉と泉ヶ岳ロッジの男
近藤憲治(近藤博則の従兄弟) 近藤博則
左の白い建物の二階が骨董部屋である。犬飼健郎弁護士のの同級生の遠藤忠の指示の元、骨董品を盗み出していた。
遺言執行人でもない犬飼健郎弁護士が「茶の間に集まってください」
孝子、文典、宏に犬飼健郎弁護士が勝手に作った父の遺言公正証書正本を手渡した。初めて公正証書を見た瞬間であった。私達は犬飼健郎弁護士の「強制執行」のショックと公正証書の内容に茫然自失となり、ただただ涙した。
遺言公正書の内容は、春子に鈴木家の全財産を相続させると記載されていた。
首にタオルを巻き祖母からの仙台箪笥を運び出していた春子を呼び出し、犬飼健郎弁護士が春子に公正証書を手渡すと「知りませんでした」と春子
犬飼健郎弁護士が手渡した遺言公正証書の正本
1971年(昭和47年)10月に孝子が母より相続した不動産と同じ
遺産分割協議書には宅地・弐参六0参平方米と記載
犬飼健郎弁護士は宅地・七壱坪四号と記載・意図的?
1971年(昭和47年)10月に文典が母より相続した物件とほぼ同じように書いてあるが、犬飼健郎弁護士が勝手に作った所在地のない地番もある。
1971年(昭和47年)10月・母より相続した不動産と同じ物件である
下手な字で訂正したのは孝子である。不動産謄本を確認した。
左端に「弁護士 犬飼健郎」押印
犬飼健郎弁護士が生前贈与と記載した不動産物件は、1971年10月の母和子の遺産分割協議書とほぼ同じである。
近藤博則は私達に「こんな事をされる方がバカだ」とせせら笑い!
藤田寅吉は「おめえも手伝うか。今日持っていくのはキズモノばかりだ。山(泉ヶ岳ロッジ)に持っていく」・藤田は父の死亡前より高価な骨董品など、
絵画などを盗んでいたことを明言!
藤田が言ったように高価な骨董品、絵画などは文雄が生前盗み出していた
実際は七ヶ浜町松ケ浜の近藤博則宅に運び込む
玉川の実家から車で15分の距離である。ピストン輸送をしていた。
これらの事を犬飼健郎弁護士は父の葬儀祭壇が飾ってある時に行った。
葬儀社も「こんなすごいの初めてです」驚き、あきれ果てていた。
葬儀祭壇片付後の写真
犬飼健郎弁護士が勝手に作った父の遺言公正証書に「祖先の祭祀」を春子を指定すると記載されていたので「お父さんの位牌はどうするの」
春子は「邪魔だから葬儀社に預ける」と憎々しげに言い放った。その時に弔問客用の津軽塗の茶托50枚をかさらっていった。
春子や近藤博則は父の形見の服を放り投げ踏みつけにした!
15時頃・犬飼健郎弁護士が春子に同行して家を出る
この日から犬飼健郎弁護士は春子を公的に所在不明にする
8月3日~1982年5月27日・競売開始決定まで
春子の置き土産 大好きな麻雀セット
透析室の残骸 ↓手前が透析機
この日から近藤博則の家で連日連夜の大騒ぎ・犬飼健郎弁護士は「本当にうまくいってよかった!」上機嫌であった!
犬飼健郎弁護士はこれらの諸手続きを勝手に作った公正証書で行った。
8月5日・仙台法務局にて仙台市松森と芋沢の所有権移転登記
犬飼健郎弁護士が勝手に作った父の遺言公正証書で手続き
当時法務局はパソコンではなく、謄本などを申請しても4~5日の日数が掛かった。父が存命中から着々と準備をしていた。
8月5日・春子が(有)マルゼン商事・鈴木文雄の保険金受領 42,000,000円
春子が七十七銀行西支店・文雄名義口座より出金 20,000,000円
8月5日・父鈴木文雄名義・塩釜市旭町の土地・固定資産通知書
8月9日・孝子が犬飼健郎弁護士事務所を訪ねると、玄関で春子と鉢合わせ
春子は走って逃げた。振り向くと藤田寅吉が車の中から睨みつけていた。
犬飼弁護士「春子さんが来たけど、孝子が来るのですぐ帰りなさい」
春子は犬飼事務所に出入り自由だった。
孝子が犬飼弁護士に「どうしてあんなに酷いことをしたの」
犬飼弁護士はうつむき「文雄さんから遺言で全部春子にやると言われたけど。
驚きました。遺言書の為に4回上京しました」と明言
「文典さんの家は大きいですね」
長男文典の自宅・仙台青葉区土樋
再度春子は犬飼事務所に戻り、犬飼弁護士と共に(有)マルゼン商事・鈴木文典の解任文書作成
犬飼健郎弁護士の依頼人であった(有)マルゼン商事の代表であった鈴木文典が
解任され、関係のない近藤博則と山田幸子が役員就任
(有)マルゼン商事は元々家族経営である。
8月13日・孝子が公証人役場にて鈴木文雄の遺言公正証書閲覧謄本作成
正本・原本・謄本と間違えている。
犬飼氏が孝子の生前贈与と記載した物件は母からの相続です
犬飼氏が長男文典の生前贈与と記載した物件は母からの相続です
犬飼氏が次男宏に生前贈与と記載した物件は母からの相続です
これが父鈴木文雄の字です。平成1年6月9日に小切手帳に署名
父の筆圧は強くない。
父の署名は平成7年6月10日に東京科学警察研究所で紹介された吉田公一さんに
依頼。父の筆跡でない
署名欄を確認したら父の署名でないと思った。遺言者と証人欄を間違えてるとは!大事な署名なのに!!
遠藤正惠・鈴木文雄・犬飼事務所事務員〇〇〇〇は同じ筆圧で同じ人物が署名
したものである。鈴木春子が署名した。
事務員の父に確認したが、〇〇〇〇の筆跡でないと明言。
実際の署名もある。犬飼健郎弁護士、若い人をこんな事に巻き込むとは雇い主として失格です。
遠藤正惠は遠藤忠氏と一連托生なので、黒塗りはなし。
8月14日・父の三七日墓参
犬飼健郎弁護士が勝手に作った遺言公正証書が根拠に名義変更
法務局・鈴木文雄名義不動産を鈴木春子名義に変更・法務局申請
8月15日・文典が犬飼弁護士の悪行を阻止する為、同門の弁護士事務所に行く
同門の弁護士は「いい加減にしろ!」「酷いことはやめろ!」といさめたが犬飼健郎弁護士は聞く耳を持たず憮然として帰る。
「あいつ、そんなに金が欲しいのか」あきれ返っていた。
当時親しくしていた弁護士夫人は「遺言執行人になると訴訟が出来なくなるから。弁護士として一番汚いやり方よ」
七ヶ浜町松ケ浜の近藤博則宅には乗用車が十数台駐車し、昼夜を問わず麻雀三昧で大騒ぎ・近所迷惑だった
8月17日・12時頃・セントラル開発(株)阿部利勝から笑いながら「春子さ話し合った方が良い。文典さんがひどくなるんだよ」と孝子に電話
この頃春子と阿部利勝は野田コーポで同棲・阿部の息子勝彦も野田コーポに居住
孝子の同級生が「野田コーポ」の賃貸の件で行くと、阿部利勝が案内、説明をした。
春子は周りの人に阿部利勝の事を「阿部さんは骨董屋さんでお金持ちなの」
阿部の息子の事を「私の息子です」と紹介していた。
8月18日・犬飼弁護士事務所から(有)マルゼン商事役員改選文書が届く
8月19日・犬飼弁護士事務所にて(有)マルゼン商事役員改選
次男宏の心配して文典に同行したが、犬飼健郎弁護士に拒否された。
犬飼健郎弁護士が「私が窓口です」
春子は欠席・犬飼弁護士は「春子さんは拉致され、所在不明、連絡が取れない」
文典は解任・春子と夫婦同然の近藤博則が取締役就任
8月19日・藤田寅吉が骨董市「涌谷会」で玉川から奪取した骨董品を売却
「トラック3台分の骨董品があるので、売り続けたい」と藤田寅吉 3,000,000円
父が存命中に盗んだ私の鎧兜や瀬戸物や棚も売ったのでしょうか。その売り上げはどうしたのですか。
鎧兜は母から相続、下記の瀬戸物・光琳箱などは父から「孝子にやるから。好きな時に持って行け」と約束した。
父に藤田寅吉から買うのを辞めるよう孝子はうるさく注意していた。
私が相続した骨董品の写真
春子や藤田寅吉、近藤博則は次男宏を「骨董泥棒」と騒ぎ立てた。
8月20日・(有)マルゼン商事謄本
犬飼健郎弁護士、鈴木文典は犬飼氏の依頼人だったのですよ。
8月27日・鈴木文雄名義全不動産を春子名義に変更完了
父鈴木文雄の死後、1か月で父の遺産不動産をすべて春子名義に変更した
9月6日・長男鈴木文典が(有)鈴文商事解任される
文典が(有)藤川商事辞任
春子が(有)藤川商事代表就任(株)セントラル開発の高山博が役員就任
セントラル開発(株)と(有)マルゼン商事が債務弁済契約公正証書作成
債務者・(有)マルゼン商事・連帯保証人 鈴木春子 140,000,000円
司法書士粟野憲治は犬飼健郎弁護士と仙台二高の同級生
現在業務停止処分中である。
法務局・根抵当権設定契約書
この14,000,000円は犬飼氏が成功報酬の一部として受領したのでしょうか?
9月17日・孝子が依頼した渡辺修弁護士が文雄遺産不動産に予告登記をした
9月18日・文雄遺産不動産・つくば市筑波郡豊里町の土地を売却 20,000,000円
9月19日・藤田寅吉が骨董市「涌谷会」にて文雄生前から盗み出した遺産骨董品 を売却・春子の旧姓・佐藤春子名義 3,000,000円
藤田寅吉が「トラック3台分あるので、これからも売り続けたい」
犬飼氏の盟友の遠藤忠氏も古物屋ですね。この当時遠藤忠氏の妹の遠藤美氏は
片平で骨董品の店「ギャラリーすばる」を営業していた。孝子と同級生である。
父が骨董品を購入していた「遊心堂」の店主西城良民さんの証明書
9月26日・文雄遺産不動産・塩釜市藤倉の土地を売却
9月28日・春子の所在確認・野田コーポに居住・102号室は(有)鈴文商事
9月28日・犬飼弁護士提出・三澤会計士事務所作成証明
三澤会計士本人でなく、事務員作成・どうして三澤会計士が作成しなかった?
10月15日・犬飼弁護士から母から相続した文典所有の利府町勝負沢の土地の件について当時の文典の弁護士にFAX
10月18日・宏から「玉川の件を弁護士に相談したら、相続事件ではなく刑事事件と言われた。俺は戦う力もない。姉ちゃんに任せる。春子と犬飼健郎弁護士に早く何とかしてもらわないと困る」四面楚歌状態!
10月19日・孝子が8月3日に春子らに土足で踏みにじられた汚れたスーツなどを、白洋舎に依頼し形見のスーツ等を受け取る。
それを知った春子と藤田寅吉が白洋舎の店頭で「本社に知らせて訴えるぞ。返せ」と脅迫。2週間前・藤田寅吉が春子の洗濯物を受取る際に、春子の委任状と印鑑証明書を持参((笑)
10月20日・白洋舎から春子と藤田が朝から店頭で騒ぐので、困り果てた白洋舎から泣きつかれた。白洋舎と一緒に野田コーポに行く。
藤田寅吉が「この野郎何しに来たんだ、おめえーなんかくるところじゃねー」-
おめえーのとこに行って大騒ぎしてやる」興奮して真っ赤な顔で脅迫した。
〇10月23日・宏が自殺未遂・追い詰められ疲れ果てた末の事
宏の遺書もあったが、妻の裕子が破棄
10月25日・文典は銀行に再建案を提出し、玉川の実家などを残すつもりで働きかけ銀行側も了承した。
犬飼健郎弁護士は再建案を無視、裁判所での協議に遠藤忠を不動産業者として同行して再建案を拒否・春子は欠席
この時、必死な文典に犬飼健郎弁護士は「春子さんは頭が良い」「春子さんは拉致されたかもしれない」「紀衣子(文典の長女)と娘が同学年でなくて良かった」犬飼健郎弁護士の娘と同じ片平小学校に通学していた。
宏が退院「バカな事をしてごめんな。お父さんがちゃんとしてくれれば、こんな事にならなかった。春子に騙されお父さんが死んでからも苦しめられる」
11月19日・藤田寅吉が(佐藤春子の名前・春子の旧姓)で盗んだ骨董品を売却
3,500,000円
11月28日・文典相続名義・利府町春日勝負沢の土地を売却
11月28日・文典相続名義・多賀城市浮島の土地売買
有)マルゼン商事閉鎖
12月4日・犬飼事務所に松坂・我妻弁護士と文典・宏が和解案の為に行った。
犬飼健郎弁護士「春子は東京の病院に行って、所在がわからなない
12月16日・春子とオーエスケーオクヤマ(春子出資で役員の会社)
分割貸付抵当権設定 35,000,000円
春子と佐藤貞子(春子と親しい)・抵当権設定 15,000,000円
〇12月16日・追い詰められた宏は野田コーポにいる春子に会いに行ったが、居留守をされ、門前払いされた。
19時20分頃・孝子に電話「どうしても春子に会わねばと春子の部屋に行ったが、門前払いされた。春子に何回も和解の話し合いをすっぽかされた。もうダメだ!俺は疲れた。姉ちゃん後始末を頼むから」
「そんな悲しい事言わないで。死ぬ気になれば何でも出来るんだから。頑張ろうよ」二人で泣きながら胸の内を吐き出し宏も徐々に落ち着いてきた。玉川は寒いので(8月3日の強制執行の日にエアコンまで持ち出した)孝子宅に泊まるように説得した・「悪くて行けない」
「姉ちゃん、俺もう少し頑張るから、ごめんな、もう大丈夫だ」
「明日の朝ごはん持って来てね」と笑顔で孝子を家から押し出すように門まで送った。
犬飼弁護士と春子達に追い立てられ、バカにされ宏も文典も哀れだった
〇12月17日・1時30分頃・帰宅してから心配で宏に電話「姉ちゃん、大丈夫だ。明日ね」これが宏との最後の会話!!
未明・宏が自殺
8時半頃・宏に電話したが、出ないので胸騒ぎがして玉川に駆けつけた。布団に宏がいないので、目を凝らすと父がいつもいた茶箪笥の前に黒いビニール袋を被った宏がいた。ビニール袋を取ると宏は顔中汗一杯で死んでいた。ハルシオンと飲めない焼酎の瓶があった。
塩釜警察署・検死・事情を話すと「妻の座を悪用した乗っ取りだね。弁護士もひどい奴がいるから」
文典と孝子は一晩中付き添う。文典は遺体にすがりながら
「ごめんな!ごめんな!助けてやれなくてごめんな」文典は泣き通しだった。
犬飼健郎弁護士と春子にバカにされ愚弄され宏は殺された!!
7月29日・父の告別式の時の写真 ⇈
まさか自分も父と同じ年に死ぬことになるとは考えもしなかった事でしょう。
〇12月19日・宏の通夜 春子は弔問にも来ず
春子が泉ヶ岳観光開発(株)を退社
12月19日犬飼健郎弁護士提出・涌谷会で春子が盗んだ骨董品を売却
2,021,561円
佐藤春子は春子の旧姓
春子らは宏を「骨董泥棒」と呼んでいた。
24時・春子から笑いながら「ざまーみろ」と電話あり!
12月20日・宏の告別式
12月28日・春子と野田コーポで同棲していたセントラル開発の阿部利勝が孝子宅に押し掛ける。
大声で恫喝。孝子に「お前に悪口を言われ迷惑している。8月でセントラル開発を辞めた。石巻で働いている。セントラル開発も春子も関係ない」警察に連絡、警官を見た瞬間、阿部は逃げ出した。
16時20分・春子から「宏が死んだのは、関係ない。骨董品は全部宏が持ち去った」怒鳴り散らす。