34年目のお盆も過ぎた!
父は77歳で亡くなり、私も同じ年齢になった。
齢を重ねて思う事。あの頃の父は元気だった。父も私も耳は聞こえるし、
認知症でもなく、特に父は歩くのが達者だった。
犬飼健郎弁護士らは仲間の医師たちと共謀して、病気にさせた。
父も哀れな最期だった。
犬飼健郎弁護士らは後妻春子をおだて上げ、利用し尽くした。
3年前、後妻春子が死亡した。春子の妹が死亡届を提出。どのような
死に際だったのか、全くわからない。
家を出た春子は住所を転々とし、哀れな老後だった。
犬飼健郎弁護士はさぞほっとしているますね。
「悪い奴ほどよく眠る」本当です。
遠藤忠(法楽寺)も病床にあると人づてに聞こえてきた。今はどうかしら?
犬飼健郎弁護士らが偽造遺言公正証書で遺産不動産すべてを春子名義に
変更して競売にした!
売買担当は宝生不動産‼
鈴木家崩壊奪取計画の仲間。
私が相続した上杉の土地、実家やアパート3棟、弟の家、多くの不動産、
骨董などの動産! ##すべて失った##
父や母が苦労して築き上げた財産を専門家である犬飼弁護士によって
失うとは!!
年齢的に相続問題の話をよく耳にする。倒産なら諦められる。
多少のごたごたはあっても、私達のような酷い話は聞いたことが無い。
春子名義の道路などについて問い合わせがある。
法務局で相談した。「プロにやられましたね」
この問題を解決するには、弁護士を雇い裁判をしなければない。
首謀者として仕切った犬飼健郎弁護士が全部解っている!!
犬飼健郎弁護士、償いとして尽力してください。
##天網恢恢疎にして漏らさず##
32年目のお盆
私も父が亡くなった年齢に近くなった。長男は廃人同然、弟は父と同年に自殺に
追い込まれた。子供達の為に苦労して築いた不動産、動産など全ての財産を失った。
父も母も惨状をみて悲しくて、悔しくて断腸の思いであろう!
多くの通夜、葬儀に参列したが、父の葬儀の時ほど不吉で不穏な空気の葬儀は無かった。
#犬飼健郎氏、春子ら仲間の連中にも親がいます。どんな育ちをしているのか#
普通に墓参などをするのか!
私達は母から「人には良くしなさい。そうすれば誰かが困った時に助けてくれる」と
常々言われて育った。
犬飼弁護士の盟友の遠藤忠氏は「法楽寺」の住職?になり、立派な説法、新聞の投稿、
人生相談などをしているが、同級生に借金をして踏み倒し、病に倒れて亡くなった時も、
知らんぷりであった!
鈴木家を破滅に追い込んだ連中は依頼人、同窓生、同級生、知人など全員近隣在住である。
まだ犬飼健郎弁護士から無視されてます
ブログを公開してから7か月が過ぎました。
未だ犬飼健郎弁護士に無視され続けております。
鈴木家の「犬飼健郎弁護士と後妻春子にやられた」長い話を多くの
方に読んで頂きありがとうございます。
私の実家は後妻春子の存在を利用して、犬飼健郎弁護士が主導して
実行されました。
弁護士という厚い壁にぶち当たりことごとくやられました。
人として生きていく根源は「家族」です。皆それぞれに「家族」の歴史が
あります。誰にでも「家族」の思い出はあります。
犬飼健郎弁護士らにより「鈴木家の家族」の思いはぶち壊されました。
#許せないこと#
#犬飼健郎弁護士は依頼人を裏切った
#父の遺言公正証書を偽造した
#父の自筆遺言書を偽造した
#母の遺産分割協議書をそのまま偽造遺言公正証書で父からの生前贈与にした
#犬飼健郎弁護士は同年父から相続している
#父及び鈴木家全員の尊厳を奪ったこと
#父の生前中に、実家から私が母から相続した「鎧兜一式」などを盗んだ
#医者と共謀してわざわざ東京の病院に入院させ、不在中に高価な骨董品を
盗んだ
#わざとらしく弟宏の学費を記載
#犬飼健郎弁護士は遺言執行人でもないのに、遺言公正証書を保管していた
#父の初七日の翌日、葬儀祭壇があるのに偽造遺言公正証書を振りかざり
「強制執行します」と私たちを脅迫、恐怖と混乱状態に落し入れた
#当日犬飼健郎弁護士は「今日中に決着しましょう」と宣言
#自己競売をもくろみ、計画的に父が生前中から父の不動産・母から相続した
不動産を担保に借入をした
#自己競売する為に税金・借入金などの支払い停止した
#犬飼健郎弁護士、後妻春子らの仲間で競落した
#弟宏は自殺に追い込まれた
#私の実家まで競売にし、競落させた
犬飼健郎弁護士が私たちにした事は、大きな棘になって刺さってます。
盗んだ骨董品などを返してください。
勝手に競売及び売却した土地の代価を支払ってください。
① 本当にあった後妻業
①本当にあった後妻業
鈴木家の全財産約25億円を奪われた!
この二人が主体になって鈴木家を破滅した!
犬飼健郎弁護士と後妻の鈴木春子の写真
犬飼弁護士のHPより参照 鈴木春子【令和2年11月死亡したが、情況は不明】
犬飼弁護士のHPから抜粋~
「法律的な問題で、一人で悩んでおられる方を多く見かけますが気軽にご相談下さい。皆さんに安心して頂き、また信頼されることを心がけ、一緒に妥当な解決に向けて取り組んで参ります。」
と書いてあります。また弁護士バッチには「自由と正義」「公正と平等」という意味があるそうです。
法に基づき仕事をしておられると思います。
しかし、犬飼健郎弁護士に知らないところで勝手に父の自筆遺言書及び遺言公正証書を作成され、
全財産を奪われ鈴木家は破壊させられました。
父鈴木文雄は平成3年7月27日 没
今から29年前、犬飼健郎弁護士が知らないところで勝手に自分の為に作った
父鈴木文雄の遺言公正証書の正本です。



生前贈与と記載がある物件は、実子たちが亡母和子から相続した物件である。
1972年10月に亡母和子の遺産分割協議書と同じ内容である




〇下手な字で所在地などを修正したのは孝子です。

↑左端に 弁護士犬飼健郎と押印がある
父鈴木文雄と(有)マルゼン商事の代表である長男鈴木文典は犬飼健郎弁護士の依頼人でした。犬飼健郎弁護士は父の遺言執行者でもありませんでした。
(注)遺言執行者とは遺言の内容を実現するために必要な手続きを行う人
犬飼健郎弁護士は知らないところで勝手に作った遺言公正証書を根拠に、公証人、裁判所、法務局、銀行、役所、取引先等をだまし、私達に茶番の裁判をするように仕向け、犬飼弁護士はちゃっかり訴訟代理人に成りすました。そして私達を恐怖と混乱と絶望に落し入れました。
この父鈴木文雄の遺言公正証書は犬飼健郎弁護士が弁護士としての知識を最大限に悪用した遺言公正証書の正本です。
誰でも自分の父親の遺言公正証書なら原本を見る筈です。
何故か私たち相続人はこの父の遺言公正証書の原本を未だ見た事もありません。こんな信じられない事がありますか?
父の初七日の翌日(父の死後8日)に犬飼健郎弁護士が「強制執行します」と総勢19名で押し掛け、相続人である私達に父の遺言公正証書の正本を手渡しました。
私(長女 孝子)は未だ犬飼健郎弁護士が勝手に作った父の遺言公正証書の原本を見た事がありません。是非とも見せて頂きたい。
犬飼健郎弁護士が勝手に作った自筆遺言書の原本・会話記録のテープを是非
聞かせてほしいものです。
1991年7月26日、父鈴木文雄が死亡前日、父に「遺言書を書いたの」尋ねると「書いてない。春子は嫌な女だ。退院したら家を出す。文典にはアパートをやらせる。宏は歯医者だけをさせる」
孝子に「お母さんとの約束だから、上杉は絶対手放すな」
最後まで子供達を案じていた。
1991年7月27日 父鈴木文雄が死亡
父は信頼して依頼していた犬飼健郎弁護士に裏切られ、鈴木家の全財産を奪われ且つ破壊され、長男文典を社会的に抹殺され、父の死亡の5か月後に次男宏が自殺に追いやられた事をあの世でさぞ悔やんでいるでしょう。
この件に関し他の弁護士に相談したこともあったが、犬飼健郎弁護士の弁護士としてあるまじき行為にどん引して何もしてくれませんでした。弁護士資格はく奪行為ですから。信用出来なくなり後妻春子の忘れ物の書類、写真などと自らの手で長年調査した結果を画像を交えて記していきたいと思います。
1979年(昭和54年)父鈴木文雄の手帳に犬飼弁護士と電話番号が記載されている。春子に紹介され依頼人となった。
父鈴木文雄は手帳に大事な事は書いていた
1979年の手帳・父はいつもNISIJINの手帳を使っていた。
犬飼健郎弁護士の依頼人だった証拠の書面 ⇈
父鈴木文雄と(有)マルゼン商事が犬飼弁護士に依頼していた証拠の父の手帳
1988年(昭和63年)8月18日
犬飼健郎弁護士から(有)マルゼン商事へ領収書 
1989年(平成元年)2月28日
犬飼健郎弁護士から鈴木文雄へ書類送付 
1989年(平成元年)9月12日
犬飼健郎弁護士から鈴木文雄へ領収書 
1990年(平成2年)9月25日 父鈴木文雄が自筆遺言書作成
犬飼健郎弁護士立ち合いの元、作成された父鈴木文雄の自筆遺言書
犬飼弁護士が保管・当時入院していた東京の北里研究所病院にて作成
1992年(平成4年)6月25日
家庭裁判所にて犬飼健郎弁護士から自筆遺言書のコピーを手渡された
この時まで私たちは自筆遺言書の存在を知らなかった!
犬飼健郎弁護士は原本を見せなかった!後妻春子は欠席!
父の死亡11か月後であった。あら!不思議!平成三年を弐年に訂正している。

会話記録は1992年(平成4年)長男鈴木文典の裁判で犬飼健郎弁護士が提出
私たち相続人はこのテープの存在も知らず、聞いたこともない!!



③ 本当にあった後妻業 鈴木春子(旧姓・佐藤)の事
春子の忘れ物・佐藤春子の自署の履歴書
春子と犬飼健郎弁護士らは金目の物はすべて奪っていったが、書類などは置いていった。
この春子の忘れ物の履歴書は父・鈴木文雄の遺言公正証書署名欄の遺言者
証人欄の名前を春子が署名した証拠であるので掲載した。
住所は貸家であった。
1995年(昭和30年)
4月・宮城県第一女子高校卒状
1996年(昭和31年)
3月・東北経理実務学校卒業
1997年1962年(昭和32年)
仙台鉄道株式会社経理課入社・近藤博則も入社
この頃都築智慧蔵は塩釜交通・古川交通・仙台鉄道間の買収工作で暗躍
1962年(昭和37年)
春子・上記三社合併により「宮城バス」経理課勤務
1967年(昭和42年)4月1・日佐藤春子が宮城バス勤務の時
春子の忘れ物 春子が31歳の時・春子の遺言状
春子と夫婦同然の近藤博則の遺言状・近藤博則28歳の時

「死勧会」結成下書き・春子の自署

会 則
一、当会の名称を死勧会と名付ける。
二、当会は常に開院相互扶助の精神に基づき会員の相互の
連結を密とし神木を計る事を目的とする。
三、会員は運転免許証を有する四名で構成され、会員欠員
の際は即補充する。
尚運転免許を所持せざる者は、入会日より一年以内に
取得しなければ除名する。
四、事故に際し一週間以内に死亡しない場合は家族に譲渡する。
五、交通事故?? 当会員保険料及び??この議にあらず。
六、会員が死亡したる場合は死者会員の霊をとむらう意味に
おいて生存会員は死亡後三週間以内に北海道登別において
死亡会員を盛大にとむらう。
七、死亡会員の人権を尊重し生存会員は三日間、一切の肉を
たち香辛飲料もひかえるべし
八、死亡会員遺族に対し当会は遺族金を支給する。
九、死亡会員の遺族に対しては一切の遠慮はさけるべし。
十、当会員の親睦会で現世のうれいを一切はいじょする意味に
おいて年一回会員旅行を開催する。
採決事項は第十一条に基く。
十一、当会の会議は民主主義の精神に基き決定事項は数決を
もってする。
十二、契約期間は一年更新とする。
十三、この会則は配偶者則 当会の世及び家族の有無にかかわらず有効とす。
世話役として吉田信也を任命する。
春子は長年、上司である都築智慧蔵の傍で吸収合併、買収問題を学習してきた!31歳で遺言状・「死勧会」結成下書きなど驚きである!
1968年(昭和43年)7月
春子が「宮城バス」退職・・春子と長年夫婦同然の近藤博則も退社
近藤博則は都築智慧蔵の妻の甥・春子と近藤博則はいつも一緒だった。
泉ヶ岳観光開発(株)入社・近藤博則も入社
代表都築健一(都築智慧蔵の長男)・・都築智慧蔵と親族が取締役就任
1975年(昭和50年)5月
春子と近藤博則が泉ヶ岳観光開発(株)の取締役就任
当時同族経営の会社で事務員が役職に就くなど珍しい
1976年(昭和51年)
この頃、都築智慧蔵と親しい横井光彌と父鈴木文雄に出入りの不動産屋坂本
作次郎が二人を引き合わせる。
春子は連日積極的にアプローチ・父に「何もいらない!ただお世話をしたい」
1977年(昭和52年)春頃
佐藤春子が父鈴木文雄に犬飼健郎弁護士を紹介され依頼
3月頃・都築智慧蔵長男健一/泉ヶ岳観光開発(株)代表が新築
1978年(昭和53年)1月
佐藤春子が青葉区木町通りにマンション購入
近藤博則が青葉区二日町にマンション購入・・・徒歩で5分の距離
1981年(昭和56年)頃
春子の忘れ物の写真・泉ヶ岳ロッジのクリスマス会
春子と近藤博則は泉ヶ岳ロッジの責任者
↑春子↑近藤博則
1987年(昭和62年)12月頃 泉ヶ岳ロッジのクリスマス会
春子の弟・佐藤賢の妻まき子と甥の正志・春子のお気に入り
近藤博則と同窓
藤田寅吉・古物屋(宝屋の娘婿)・春子の雑用係
1988年(昭和63年)9月
春子の忘れ物の写真・春子の仲間
この連中と犬飼健郎弁護士によって鈴木家は食われ、破壊された

犬飼健郎弁護士➡都築三雄の知人・弁護士・マージャン仲間
遠藤 忠 ➡ 犬飼健郎の同級生・マージャン仲間・現在「法楽寺」住職?
伊藤寿郎 ➡犬飼健郎・遠藤忠の幼馴染・伊藤家は都築家と親しい関係
都築智慧蔵➡春子の上司・仙台鉄道(株)・宮城バス・泉ヶ岳観光開発(株)
吸収合併買収など得意だが、資産はなかった
都築静子 ➡都築智慧蔵の妻・近藤博則の叔母
高橋清孝➡春子と旧知の医師・マージャン仲間・当時自宅兼診療所が競売中
高橋雄一郎➡清孝長男・北里研究所病院、相模台病院勤務・鈴木文雄の不動産
を担保に多額の借入
近藤博則➡春子と夫婦同然の男・同僚・都築智慧蔵の妻の甥
藤田寅吉➡新庄市の「宝屋」の娘婿・古物屋・春子の使用人
都築三雄➡都築智慧蔵の三男・犬飼健郎弁護士、遠藤忠紹介
ア ➡私の知らない男
イ ➡私の知らない男
芳賀アイ子➡都築智慧蔵の長女・春子と同年配
近藤悦子 ➡近藤博則の妻・山田幸子の姪
山田幸子 ➡春子の同僚・近藤悦子の叔母
奥山正實 ➡オーエスケーオクヤマ代表・春子・近藤博則役員
佐藤貞子➡春子の同僚
佐藤賢 ➡春子の弟・春子所有のマンションに居住
佐藤まき子➡佐藤賢の妻
上記の仲間達はマージャン仲間でもある
1972年頃
春子の忘れ物の写真・春子の仲間は麻雀が大好き
↓春子 ↓都築健一(泉ヶ岳観光開発(株)代表)

↑佐藤貞子(春子の同僚) ↑阿部寛
1976年頃
春子の旧知の仙台市泉区の開業医髙橋清隆医師もマージャン仲間である
この頃、都築智慧蔵と親しい横井光彌と父鈴木文雄家に出入りの不動産屋
坂本作次郎が二人を引き合わせる。
春子は連日積極的に父にアプローチ「何もいらない!お世話をしたい」
父が検査入院をした時など、大きな花束やダンヒルライターを持って毎日
見舞いに訪れた。
当時春子の関連会社が「マルゼン商事」事務所の近所であった
春子の忘れ物・1989年5月頃
七ヶ浜町松ケ浜に近藤博則が競落した家のお祝い・ノリ業者の家を競落
父鈴木文雄も春子に強引に誘われ出席・1991年8月3日・ここに鈴木家の骨董品を保管塩竃市玉川の実家から車で15分の距離!!
春子、近藤博則たちは都築智慧蔵に異常なほどの忠誠心を持っていた。
1990年8月16日 春子の忘れ物
鈴木文典家族・都築三雄家族・三雄の友人の大柳健治と息子
都築三雄は都築智慧蔵の三男であり、鈴木家の長男の文典と年齢も近くうまく取り入り接近・犬飼健郎弁護士・遠藤忠を文典に紹介
都築三雄は『(株)都産業』の代表・都築智慧蔵も役員・(有)マルゼン商事は飲料水と火災保険で取引・都築三雄の妻の八重子は「泉ヶ岳ロッジの従業員」で春子の部下だった
大柳「春子さんは初めから鈴木家と仲良くするつもりはなかった」
④ 本当にあった後妻業 1965年(昭和53年)~1985年(昭和60年)の時系列
1978年(昭和53年)
●9月・(有)鈴文商事で塩竈市石堂に4階建て賃貸アパート新築
●9月・長女孝子結婚・・塩釜市在住
12月23日・春子・泉ヶ岳観光開発(株)都築智慧蔵一家が主導の結婚披露宴
鈴木家受難の始まり
春子は満面の笑顔・佐藤貞子と親しい
●鈴木文雄との婚姻届を春子と近藤博則は無断で法務局に提出・夫婦同然の近藤
博則は婚姻届の証人であった。
●媒酌人は横井光彌夫妻 近藤博則↓ 都築三雄↓
計画がうまくいってニヤついている
春子と夫婦同然の近藤博則と都築智慧蔵の三男・都築三雄・従兄弟同士⇈
「春子に何かあったら、何億円もの金を用意しろ!その時は泉ヶ岳観光では全 面的に春子を応援するからな」と近藤博則は長男文典、孝子、次男宏をおどした。都築三雄はニヤニヤ笑っていた。
・都築三雄の紹介で春子と犬飼健郎弁護士は知り合う。その時犬飼健郎弁護士は 研修中であった。
・結婚後も春子は泉ヶ岳観光開発(株)に勤務・家の事は長年の手伝いの鈴木
清子に任せていた。
●父の手帳・犬飼健郎弁護士電話番号記載
7月2日に父に宝石を買ってきてと300万円を渡した。父は買物が大好きでした。私の誕生石のスタールビー、ダイヤ、キャッツアイ、翡翠などを買ってきた。
それらを実家の仏壇に保管していたが、春子らに全部が盗まれた。
1980年・昭和55年
この結婚式も春子と都築智慧蔵一家が主導ですべて取り仕切った。
媒酌人・都築智慧蔵夫妻・都築智慧蔵一家全員出席・近藤博則も!
都築智慧蔵の長女・芳賀アイ子は「この恩は春子に一生係って返さなければ
ならない」と文典に言い切った。
この結婚に反対した鈴木家長女孝子は招待されず!周子の兄の伊藤寿郎は詐欺師として悪名高いので反対した大きな理由である。
犬飼健郎弁護士・遠藤忠・伊藤寿郎は幼なじみであった。
都築智慧蔵と伊藤周子の両親は親しい間柄で周子の従兄弟は当時智慧蔵の秘書
だった。
1981年(昭和56年)
●9月11日・春子が会社の経営参加を文雄に拒否され、仕返しに周子と2か月間家を出る。周子は生後2か月の長女と共に家出した。

父の手帳・父は毎日の売り上げ等大事な事は記載
●10月11日・春子の忘れ物・春子からの手紙
春子はマンションのローン返済分・生活費は受け取る

11月頃・再び春子が家に戻る
1983年・昭和57年
次男宏が横浜市にて「ヒロ歯科医院」開業
1983年・昭和58年
●2月・塩釜市白萩町に居宅付き土地を購入
●8月・塩竃市玉川の実家に駐車場2階に骨董部屋に改装、内部は絨毯を引き詰め、棚にはサッシ、空調設備、電話付き ◆骨董部屋の鍵は春子が握る◆
骨董部屋・駐車場2階と内部
●10月・春子が再び家出をした。長男文典の事を心配した父が文典と養子縁組をしてほしいとお願いし、承諾をした春子は2,000万円要求してきた。
春子に生前贈与として20,000,000円を支払う 20,000,000円
200,000,000円を受け取ると、春子は養子縁組を拒絶した
●11月・春子と長年夫婦同然の近藤博則が泉ヶ岳ロッジ勤務の娘と結婚
この頃、春子が家に戻る
1984年・昭和59年
●2月・春子の紹介で父は「仙台オープン病院」に通院
- 春子の旧知で麻雀仲間の高橋清孝医院にも通院
- 時々孝子が実家を訪ねると、父は呂律が回らない話し方、意識がもうろうとしていることが度々あった。
泉ヶ岳観光開発(株)・泉ヶ岳ロッジのクリスマス会
春子と近藤博則はロッジの責任者・冬の間近藤博則はロッジには泊まり込み、
春子も始終外泊していた。

春子と隣は近藤博則・春子は満面の笑みである。