1978年(昭和53年)
●9月・(有)鈴文商事で塩竈市石堂に4階建て賃貸アパート新築
●9月・長女孝子結婚・・塩釜市在住
12月23日・春子・泉ヶ岳観光開発(株)都築智慧蔵一家が主導の結婚披露宴
鈴木家受難の始まり
春子は満面の笑顔・佐藤貞子と親しい
●鈴木文雄との婚姻届を春子と近藤博則は無断で法務局に提出・夫婦同然の近藤
博則は婚姻届の証人であった。
●媒酌人は横井光彌夫妻 近藤博則↓ 都築三雄↓
計画がうまくいってニヤついている
春子と夫婦同然の近藤博則と都築智慧蔵の三男・都築三雄・従兄弟同士⇈
「春子に何かあったら、何億円もの金を用意しろ!その時は泉ヶ岳観光では全 面的に春子を応援するからな」と近藤博則は長男文典、孝子、次男宏をおどした。都築三雄はニヤニヤ笑っていた。
・都築三雄の紹介で春子と犬飼健郎弁護士は知り合う。その時犬飼健郎弁護士は 研修中であった。
・結婚後も春子は泉ヶ岳観光開発(株)に勤務・家の事は長年の手伝いの鈴木
清子に任せていた。
●父の手帳・犬飼健郎弁護士電話番号記載
7月2日に父に宝石を買ってきてと300万円を渡した。父は買物が大好きでした。私の誕生石のスタールビー、ダイヤ、キャッツアイ、翡翠などを買ってきた。
それらを実家の仏壇に保管していたが、春子らに全部が盗まれた。
1980年・昭和55年
この結婚式も春子と都築智慧蔵一家が主導ですべて取り仕切った。
媒酌人・都築智慧蔵夫妻・都築智慧蔵一家全員出席・近藤博則も!
都築智慧蔵の長女・芳賀アイ子は「この恩は春子に一生係って返さなければ
ならない」と文典に言い切った。
この結婚に反対した鈴木家長女孝子は招待されず!周子の兄の伊藤寿郎は詐欺師として悪名高いので反対した大きな理由である。
犬飼健郎弁護士・遠藤忠・伊藤寿郎は幼なじみであった。
都築智慧蔵と伊藤周子の両親は親しい間柄で周子の従兄弟は当時智慧蔵の秘書
だった。
1981年(昭和56年)
●9月11日・春子が会社の経営参加を文雄に拒否され、仕返しに周子と2か月間家を出る。周子は生後2か月の長女と共に家出した。
父の手帳・父は毎日の売り上げ等大事な事は記載
●10月11日・春子の忘れ物・春子からの手紙
春子はマンションのローン返済分・生活費は受け取る
11月頃・再び春子が家に戻る
1983年・昭和57年
次男宏が横浜市にて「ヒロ歯科医院」開業
1983年・昭和58年
●2月・塩釜市白萩町に居宅付き土地を購入
●8月・塩竃市玉川の実家に駐車場2階に骨董部屋に改装、内部は絨毯を引き詰め、棚にはサッシ、空調設備、電話付き ◆骨董部屋の鍵は春子が握る◆
骨董部屋・駐車場2階と内部
●10月・春子が再び家出をした。長男文典の事を心配した父が文典と養子縁組をしてほしいとお願いし、承諾をした春子は2,000万円要求してきた。
春子に生前贈与として20,000,000円を支払う 20,000,000円
200,000,000円を受け取ると、春子は養子縁組を拒絶した
●11月・春子と長年夫婦同然の近藤博則が泉ヶ岳ロッジ勤務の娘と結婚
この頃、春子が家に戻る
1984年・昭和59年
●2月・春子の紹介で父は「仙台オープン病院」に通院
- 春子の旧知で麻雀仲間の高橋清孝医院にも通院
- 時々孝子が実家を訪ねると、父は呂律が回らない話し方、意識がもうろうとしていることが度々あった。
泉ヶ岳観光開発(株)・泉ヶ岳ロッジのクリスマス会
春子と近藤博則はロッジの責任者・冬の間近藤博則はロッジには泊まり込み、
春子も始終外泊していた。
春子と隣は近藤博則・春子は満面の笑みである。