③ 本当にあった後妻業 鈴木春子(旧姓・佐藤)の事
春子の忘れ物・佐藤春子の自署の履歴書
春子と犬飼健郎弁護士らは金目の物はすべて奪っていったが、書類などは置いていった。
この春子の忘れ物の履歴書は父・鈴木文雄の遺言公正証書署名欄の遺言者
証人欄の名前を春子が署名した証拠であるので掲載した。
住所は貸家であった。
1995年(昭和30年)
4月・宮城県第一女子高校卒状
1996年(昭和31年)
3月・東北経理実務学校卒業
1997年1962年(昭和32年)
仙台鉄道株式会社経理課入社・近藤博則も入社
この頃都築智慧蔵は塩釜交通・古川交通・仙台鉄道間の買収工作で暗躍
1962年(昭和37年)
春子・上記三社合併により「宮城バス」経理課勤務
1967年(昭和42年)4月1・日佐藤春子が宮城バス勤務の時
春子の忘れ物 春子が31歳の時・春子の遺言状
春子と夫婦同然の近藤博則の遺言状・近藤博則28歳の時
「死勧会」結成下書き・春子の自署
会 則
一、当会の名称を死勧会と名付ける。
二、当会は常に開院相互扶助の精神に基づき会員の相互の
連結を密とし神木を計る事を目的とする。
三、会員は運転免許証を有する四名で構成され、会員欠員
の際は即補充する。
尚運転免許を所持せざる者は、入会日より一年以内に
取得しなければ除名する。
四、事故に際し一週間以内に死亡しない場合は家族に譲渡する。
五、交通事故?? 当会員保険料及び??この議にあらず。
六、会員が死亡したる場合は死者会員の霊をとむらう意味に
おいて生存会員は死亡後三週間以内に北海道登別において
死亡会員を盛大にとむらう。
七、死亡会員の人権を尊重し生存会員は三日間、一切の肉を
たち香辛飲料もひかえるべし
八、死亡会員遺族に対し当会は遺族金を支給する。
九、死亡会員の遺族に対しては一切の遠慮はさけるべし。
十、当会員の親睦会で現世のうれいを一切はいじょする意味に
おいて年一回会員旅行を開催する。
採決事項は第十一条に基く。
十一、当会の会議は民主主義の精神に基き決定事項は数決を
もってする。
十二、契約期間は一年更新とする。
十三、この会則は配偶者則 当会の世及び家族の有無にかかわらず有効とす。
世話役として吉田信也を任命する。
春子は長年、上司である都築智慧蔵の傍で吸収合併、買収問題を学習してきた!31歳で遺言状・「死勧会」結成下書きなど驚きである!
1968年(昭和43年)7月
春子が「宮城バス」退職・・春子と長年夫婦同然の近藤博則も退社
近藤博則は都築智慧蔵の妻の甥・春子と近藤博則はいつも一緒だった。
泉ヶ岳観光開発(株)入社・近藤博則も入社
代表都築健一(都築智慧蔵の長男)・・都築智慧蔵と親族が取締役就任
1975年(昭和50年)5月
春子と近藤博則が泉ヶ岳観光開発(株)の取締役就任
当時同族経営の会社で事務員が役職に就くなど珍しい
1976年(昭和51年)
この頃、都築智慧蔵と親しい横井光彌と父鈴木文雄に出入りの不動産屋坂本
作次郎が二人を引き合わせる。
春子は連日積極的にアプローチ・父に「何もいらない!ただお世話をしたい」
1977年(昭和52年)春頃
佐藤春子が父鈴木文雄に犬飼健郎弁護士を紹介され依頼
3月頃・都築智慧蔵長男健一/泉ヶ岳観光開発(株)代表が新築
1978年(昭和53年)1月
佐藤春子が青葉区木町通りにマンション購入
近藤博則が青葉区二日町にマンション購入・・・徒歩で5分の距離
1981年(昭和56年)頃
春子の忘れ物の写真・泉ヶ岳ロッジのクリスマス会
春子と近藤博則は泉ヶ岳ロッジの責任者
↑春子↑近藤博則
1987年(昭和62年)12月頃 泉ヶ岳ロッジのクリスマス会
春子の弟・佐藤賢の妻まき子と甥の正志・春子のお気に入り
近藤博則と同窓
藤田寅吉・古物屋(宝屋の娘婿)・春子の雑用係
1988年(昭和63年)9月
春子の忘れ物の写真・春子の仲間
この連中と犬飼健郎弁護士によって鈴木家は食われ、破壊された
犬飼健郎弁護士➡都築三雄の知人・弁護士・マージャン仲間
遠藤 忠 ➡ 犬飼健郎の同級生・マージャン仲間・現在「法楽寺」住職?
伊藤寿郎 ➡犬飼健郎・遠藤忠の幼馴染・伊藤家は都築家と親しい関係
都築智慧蔵➡春子の上司・仙台鉄道(株)・宮城バス・泉ヶ岳観光開発(株)
吸収合併買収など得意だが、資産はなかった
都築静子 ➡都築智慧蔵の妻・近藤博則の叔母
高橋清孝➡春子と旧知の医師・マージャン仲間・当時自宅兼診療所が競売中
高橋雄一郎➡清孝長男・北里研究所病院、相模台病院勤務・鈴木文雄の不動産
を担保に多額の借入
近藤博則➡春子と夫婦同然の男・同僚・都築智慧蔵の妻の甥
藤田寅吉➡新庄市の「宝屋」の娘婿・古物屋・春子の使用人
都築三雄➡都築智慧蔵の三男・犬飼健郎弁護士、遠藤忠紹介
ア ➡私の知らない男
イ ➡私の知らない男
芳賀アイ子➡都築智慧蔵の長女・春子と同年配
近藤悦子 ➡近藤博則の妻・山田幸子の姪
山田幸子 ➡春子の同僚・近藤悦子の叔母
奥山正實 ➡オーエスケーオクヤマ代表・春子・近藤博則役員
佐藤貞子➡春子の同僚
佐藤賢 ➡春子の弟・春子所有のマンションに居住
佐藤まき子➡佐藤賢の妻
上記の仲間達はマージャン仲間でもある
1972年頃
春子の忘れ物の写真・春子の仲間は麻雀が大好き
↓春子 ↓都築健一(泉ヶ岳観光開発(株)代表)
↑佐藤貞子(春子の同僚) ↑阿部寛
1976年頃
春子の旧知の仙台市泉区の開業医髙橋清隆医師もマージャン仲間である
この頃、都築智慧蔵と親しい横井光彌と父鈴木文雄家に出入りの不動産屋
坂本作次郎が二人を引き合わせる。
春子は連日積極的に父にアプローチ「何もいらない!お世話をしたい」
父が検査入院をした時など、大きな花束やダンヒルライターを持って毎日
見舞いに訪れた。
当時春子の関連会社が「マルゼン商事」事務所の近所であった
春子の忘れ物・1989年5月頃
七ヶ浜町松ケ浜に近藤博則が競落した家のお祝い・ノリ業者の家を競落
父鈴木文雄も春子に強引に誘われ出席・1991年8月3日・ここに鈴木家の骨董品を保管塩竃市玉川の実家から車で15分の距離!!
春子、近藤博則たちは都築智慧蔵に異常なほどの忠誠心を持っていた。
1990年8月16日 春子の忘れ物
鈴木文典家族・都築三雄家族・三雄の友人の大柳健治と息子
都築三雄は都築智慧蔵の三男であり、鈴木家の長男の文典と年齢も近くうまく取り入り接近・犬飼健郎弁護士・遠藤忠を文典に紹介
都築三雄は『(株)都産業』の代表・都築智慧蔵も役員・(有)マルゼン商事は飲料水と火災保険で取引・都築三雄の妻の八重子は「泉ヶ岳ロッジの従業員」で春子の部下だった
大柳「春子さんは初めから鈴木家と仲良くするつもりはなかった」